So-net無料ブログ作成

浅羽佐喜多郎 石碑 wikipedia 小田原

 「The Partner」

 TBSが日本とベトナムの国交樹立40周年記念ドラマを共同制作した。


 日本人医師、浅羽佐喜多郎とベトナム人革命家ファン・ボイ・チャウの絆の話です。


 早速、wikipediaなどで調べてみました。

 浅羽佐喜多郎は小田原にいて、石碑がドラマでもキーワードになるのですが・・・

 ベトナム人革命家、ファン・ボイ・チャウは石碑にこのように刻んでいます



 <碑文訳>


 われらは国難(ベトナム独立運動)のため扶桑(日本)に亡命した。公は我らの志を憐れんで無償で

 援助して下さった。思うに古今に類なき義侠のお方である。ああ今や公はいない。蒼茫たる天を仰ぎ

 海を見つめて我らの気持ちをどのように、誰に、訴えたらいいのか。ここにその情を石に刻む。


 
  ファン・ボイ・チャウはベトナムの民族主義運動の指導者です。

  ベトナムを密出国して日本に来たときに、大隈重信や犬養毅を紹介され「武器援助よりも

  人材育成が先である。」と説かれベトナム留学生を続々と受け入れます。



  ところが、日本が日仏同盟を結んだ為、フランスからの強い圧力で留学生を追放せざるを

 得なくなります。そこでファンが頼ったのが篤志家として知られた浅羽でした。


  朝持たせた手紙の返事が夕方に手紙と一緒に1700円という大金と戻ってきました。

 (当時の東浅羽小学校の校長の月給が18円だったそうです。)



 浅羽佐喜多郎は帝国大学医科大学(現東大医学部)を卒業し、神奈川県小田原市で私立病院を

 開業していました。


 貧しい人からは医療費を取らなかったという人で、病院には数十人の貧しい人が住み着いていて、

 ベトナムの留学生グループもいたそうです。

 ところが、ファンが頼ってきたときには実は本人が当時は不治の病だった肺結核で、ファンが

 出国した翌年に亡くなります。

 
 ファンが後にそのことを知り、墓前に記念の石碑を建てようとしたがお金が足りず、一旦中国に

 戻ろうとした時に、村長が引き止めます。 

 村の小学校に人を集め、浅羽先生の義侠の行いについて話し、ファン達を紹介し、石碑を

 建てようとしている事を説明し、村も協力し、費用を負担することで石碑は完成した。  


 浅羽家では{浅羽佐喜多郎が行ったことは、気の毒な外国の人を助けてあげたのだすから

 立派なことなのですよ。でもその人は、フランス政府や日本の警察に追われているインドシナの

 偉い人だったのです。決して口外してはいけませんよ。}と秘密にしていたそうです。

 政府に逆らってベトナム人を助けた事はタブーだったみたいですね。


 小田原の石碑にはベトナムから訪れる人が結構いるそうです。


 ファン・ボイ・チャウはホーチミンと並ぶ英雄だそうです。


  「シンドラーのリスト」を思い出しました。


 同じ日本人として誇りに思いました。






 









nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。